宅浪落ちた。

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競争社会では幸せになれないのか

大学で組織経営を学んでいるが、その中に「目標志向性理論」というものがある。

 

 

ザックリと概要を話そう。

 

 

 

人間には2パターン存在するという。

 

漸進主義者と実体主義者だ。

 

それぞれ思考傾向が異なる。

 

前者は「知能は伸びる」と考え、課題に進んで取り組み、失敗も自分の成長につながると信じている。

 

このような思考傾向を「学習目標志向」という。

 

一方後者は「知能は不変である」と考え、自分の技量を楽に発揮できない課題は回避しようという人間だ。

 

このような思考傾向を「業績目標志向」という。

 

漸進主義者は学習目標志向。

実体主義者は業績目標志向。

 

 

字面だけ眺めるとなんだか難しそうな話だが、至ってシンプルな構造だ。

 

例えば受験という課題があった時に、

・失敗を恐れず、ひたすらに自分の成長を信じ、大学で学ぶために合格に向かって努力する人間(=学習目標志向)

・失敗して周囲にバカにされることを恐れて安パイを切る/他人に褒められたいから努力する人間(=業績目標志向)

 

上記の2パターンの人間がいるでしょっていう話。

 

要は、自分軸で生きているか、他人軸で生きているかっていうことなんよね。

 

あなたはどっちの人間でしょうか?

 

さて、こっからが本題でありまして、他人軸で生きる業績目標志向の人間っていうのは抑うつになりやすいっていう研究があるんですわ。

 

確かに常に他者の評価を伺っているとプレッシャーはかかるし、気疲れするってのは簡単に想像できますね。

 

しかし現代の日本は資本主義の競争社会。

 

言うまでもなく「競争」っていうのは周囲と比べるっていう相対的な評価が基準です。

 

そんな社会で生まれた人間のどれだけが純粋な好奇心を原動力に生き、死んでいくのでしょうか。

 

「すきなことで生きていく」

 

こんなことができれば誰しも幸せになれるっていうのは分かっている。

 

でも、どれだけ好きなことをやっていても、値札が付いていなければ評価されない社会。

 

 

その絵に価値はあるのか。

 

その物語に価値はあるのか。

 

その探求心に価値はあるのか。

 

 

頭がおかしくなってしまいそうです。

 

 

そう嘆いていても、明日地球がひっくり返るわけでもなく。

 

歴史的には共産主義は怠慢と結果的な不平等を生み、失敗してきました。

 

 

となると、この社会でうまくやっていく方法を探すほかありません。

 

そのためにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 

そもそも、学習目標志向と業績目標志向という単純な二分法で人間を切り分けてはいけないのかもしれません。

 

業績目標志向の人間も、時には好奇心で楽しめることもあるし、競争相手がいるから頑張れることだってある。

 

学習目標志向の人間だって自分の満足いく結果が行かずに苦しむこともあるのではないか。

 

要は、他人軸の人生に疲れてしまうことは避けようのないこととして、その鬱々とした状況をできるだけ早く救ってやるにはどうしたらいいかってことなのではないのでしょうか。

 

 

 

…と、ここまで書いておいてアレですが、続きは無いです。

 

結局何も答えが出ないまま終わってしまって申し訳ないですが、私自身悩んでいる最中ですので。

 

何に価値をつけて、上手に自分を労わって生きていくか。

 

 

人生ってのは面倒なもんです。