宅浪落ちた。

宅浪して落ちたワイ。成功した人のオ〇ニー日記に飽きた人へ。

宅浪時代に一番悩んだこと

それは、センター対策でも、記述式の対策でも、モチベーションの上げ方でもなかった。

 

「生きてる意味ってあるんだろうか。」

ということである。

 

もしかすると、これをご覧になっているあなたも、同じような悩みを抱えているかもしれない。

 

あるいは、これから同じような悩みを持つことがあるかもしれない。

 

そんな方に宅浪の先輩から一つアドバイス。

 

「18、19そこらのクソガキが答えなんて出せるわけないから、悩むのはほどほどにしておけ。」

 

 

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私は現在23歳。

 

コロナ禍での就活もなんとか乗り切った(現状は)。

 

文系の学生は4回生になると時間もある。

しかも、いまや授業はすべてリモート。

 

要は、暇なのだ。

 

卒論など、やるべきことはあるのだが、時期的にも危機感が無いのでやる気がわかない。

 

起きてはYouTubeを見漁って、飽きたら近所を適当に散歩する。

 

生活リズムは乱れ、深夜3時に街を徘徊する。

 

 

そんな生活を繰り返す中で考えることがある。

 

そう、「生きる意味」だ。

 

就活をしているということもあって、将来について考える毎日だ。

 

「本当にしたいことって何だろう。」

「こんなに苦しい思いをしてまで何を得たいんだろう。」

「このまま生きていても、何か成し遂げられるような才能は無いし。」

 

「何が楽しくて生きているんだろう。」

 

 

宅浪時代も同じようなことで悩んだ。

 

初めて味わう「同級生に置いて行かれている」という劣等感。

 

浪人生はおろか、宅浪の知人などめったにいるものではなく、底知れない孤独感を覚えた。

 

友人のSNSを見ると、自分の情けなさに耐えられず、一人泣き崩れることも多々あった。

 

「こんなにつらい思いをしてまで、何を得ようとしているんだろう。」

 

経営学部を志望していたが、自分が将来やりたいことを、確固たる言葉で、確固たる根拠をもって表現することができず、悩んだ。

 

「このまま頑張っても、将来どうせ辛いことばっかやん。」

 

「そりゃ嬉しいことだってあるだろうよ。でも、自分にとってそれが辛い経験を上回るなんて思わないんだよ。」

 

「だったらいっそ死んでしまった方が楽なんじゃないか。」

 

「いや、死んだら楽だとか辛いとかの感情を感じることも無くなるんだ。」

 

 

 

戦隊ものの番組で、「世界を滅亡に導く悪の結社」みたいなのがよく出てくるけど、あいつらってマジで平和の使者なんじゃない?

 

だって、この世にある紛争や環境問題、いじめ、貧困、その他諸々の平和とは真逆と考えられている問題の数々はすべて人間が引き起こしとるんやで。

 

いや、個々の現象を「問題」だと捉えているのが人間なだけであって、大宇宙から見れば善も悪もないまさに「現象」に過ぎない。

 

であるならば、問題の発生源でもあり、受け取り手でもある人間を、地球が丸ごと吹っ飛ぶような核弾頭で絶滅させてしまえばよいのではないか。

 

そうすれば、あら不思議。

人間が引き起こす諸問題は無に帰し、その事実を判断する主体もいなくなる。

 

これこそ、平和なのではないか。

 

 

バカげているように思われるこの思想も、説得力のある言葉で反論してくれる人は一人もいなかった。

(たいていは「論ずるに値しない」という反応で、笑われるだけだった)

 

 

だがしかし、この世に死後の世界が存在しない限り、人間は死ねば一切の感情・思考を失うことになる。

 

「他人に迷惑がかかる」、「後悔する」、「やり残したことがあるはずだ」

などということを考えることも、死んだあとでは無くなるのだ。

 

こうして考えてみると、「死」は一切の苦しみからの解放を意味し、宅浪時代の鬱積した感情の救済に思えて仕方がなかった。

 

 

しかし、それを行動に移す勇気はなかった。

 

 

まだ苦しみが臨界点に達していなかったからなのか、生に引き留める希望を持っていたからなのか、今でも分からない。

 

だが、死ぬ勇気が無い上、人生の目的もなかった自分は、とりあえず生きていくしかなかった。

 

とりあえず生きていくためには、とりあえず日々を生きていけるくらいの快感を確保し、不快を避ける必要があった。

 

とりあえずの目標である「ジュケン」に向かって努力しなければ自責の念に駆られて苦しかったので、何とかモチベーションが上がる方法を模索した。

 

とりあえず身近にいる人に喜んでほしかったので、辛いときには大切な人を思い浮かべた。

 

自分に少しでも興味があることと、愛情に応えようと、生きたのだ。

 

 

そうして、今に至る。

 

 

あれから4年。

 

なにか変わったかと言えば、何も変わっていない。

 

確固たる人生の目標などないし、生きる意味なんて全くヒントもつかめない。

 

就活の面接では、とりあえずそれっぽいことを言って凌いできた。

 

「人類絶滅=平和」論を反証するような思想も得ていない。

 

ただ、自分の興味を惹く事柄にはたくさん出会えるようになった。

 

バイトで稼いだ金で女の子と遊んだり、釣りに行ったり。

 

やるまいと思っていた部活動、自粛の今一番やりたいことの一つだ。

 

大学のゼミでは産学連携で企業の社長にプレゼンする機会もあった。

 

4年を振り返って、充実か充実ではないかと問われれば、自分の割には充実していたほうだと思う。

 

 

 

 

 

 

「生きる意味」とは何なのか。

 

死ねば苦楽の感情ごと消え去ってしまう。

 

しかし私には死ぬ勇気が無い。

 

だから、とりあえず生きている。

 

もし、苦しみが臨界点を超えたとき、自分はどんな行動を取るのだろうか。

 

 

 

私には、勇気が無い。